<パキスタンの町中で>
ウルドゥー(Urdu)語は、パキスタン(Pakistan)の国語であり、インド(India)の主要言語の一つです。文字はアラビア文字を用いますが、インド・ヨーロッパ語族に属する、現代アーリア諸語のひとつです。
この言語の成立事情の詳細は不明ですが、11世紀にイスラーム教徒がインド亜大陸北西部辺りに侵入した頃、西アジアの言語(特にペルシア語やトルコ系の言語)と北インドの言語が影響しあって徐々に成立したと考えられています。
インド亜大陸では12世紀以降イスラーム教徒の政権が盛衰し、この間にウルドゥー語が育まれ、文学が開花しました。文芸では特に韻文詩が発達し、現在もその伝統は続いています。18世紀からイギリスの植民地化が本格化しますが、この時期からウルドゥー語は「インド・イスラーム文化の象徴」と評価されるようになりだしました。1947年のインド・パキスタン分離独立後、イスラーム教徒の国家パキスタンの国語となったのです。
ウルドゥー語とヒンディー語(Hindi)とは、基盤となった言語が共通なため、文法は同一で、姉妹関係にあります。ただ、ウルドゥー語にはペルシア語、アラビア語からの借用語が多く、ヒンディー語にはサンスクリット語からの借用語が多いといった語彙の違いがあり、文字も異なります。したがって、南アジアの人々の娯楽の一つである映画や音楽は、この両言語の話者双方が理解できる語彙が用いられていますから、ウルドゥー語を理解することで、インド映画を楽しんだり、インドやパキスタンのみならず、世界中の南アジア系の人々と会話を楽しめます。ただし、専門的な内容の会話や文献となると、ウルドゥー語とヒンディー語では大きな隔たりがあることも事実です。

また、日本人が中国語の新聞を見て記事の内容を漢字で推察できるように、ウルドゥー語を習得すると、アラビア語やペルシア語の新聞・書籍等を見て、内容に関するある程度の推測ができるようになります。つまりウルドゥー語を学べば、その周辺地域の様々な言語に関する知識をも身につけることができるのです。このことは同時に、周辺言語の語彙や知識を学ぶ姿勢が求められます。
本学のウルドゥー語学習は、1年次に文法・作文・会話の基礎を終え、パキスタンの小学校の教科書を読むところまで進みます。1年生の会話の授業は週2回、パキスタン人の外国人教師が担当し、正確な発音、表現の体得をめざします。2年次にはハイレベルの教材・資料を読み、会話・作文のレベルアップをはかります。学生の中には、授業以外にも、外国人教師と昼食をともにしながら会話力をつける人もいます。

3・4年次になると関心分野に応じた授業があり、南アジア地域を中心とした現代史、政治・経済、社会、文学、語学等に関する研究を行います。勿論、資料はウルドゥー語のものを重点的に用います。
ウルドゥー語習得の一番の醍醐味は、南アジアの文化に直に触れることです。南アジア研究において英語の資料は不可欠ですが、英語の資料には現れない生の声を知ることはウルドゥー語を学習してこそ可能です。現地語とその文化のの理解に南アジアの社会を認識する度合いが全く違ってきます。それは食物ばかりではありません。人名、地名等あらゆる語彙に、独特の文化が生き生きと根づいていることがわかります。日本のホテルの部屋番号に4や9がないのをどう説明しますか? インドやパキスタンの人は数字の「420」でなぜ笑うのでしょう?
外国語大学でのウルドゥー語習得は、単な文法学習ではなく、語学学習を通して南アジア地域を理解することです。他大学で南アジアに興味を抱いても、現地の言葉を習得せずには文化の香り高い一次資料には触れられません。その意味で、ウルドゥー語習得は外国語大学ならではの知的な楽しみなのです。 ウルドゥー語専攻の学生のなかには自発的にパキスタン人留学生との交流を進める人もいます。南アジアへの留学状況としては,2007年10月現在,学生2名がパキスタンの大学での留学を終えて帰国し,別の2名がパキスタンへ留学しています。
また、在学生や卒業生の中には、在外公館派遣員や外交官として大使館等に勤務中の学生、卒業生もあり、2007年現在もパキスタンやアフガニスタンの日本国大使館を基盤にウルドゥー語を駆使して活躍中です。勿論、このような経験は限られた機会ですが、外大生ならではのものでしょう。
ウルドゥー語専攻の学生の進路については、教育、銀行、商社、マスコミ、メーカー、航空会社、大学院進学など多様で、ウルドゥー語が職業に直接関係するわけではありません。しかし、10億の人々が理解する言語とそれを育んだ文化を理解することは、きっと卒業生の大切な財産となっていることでしょう。


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