フォルケホイスコーレ留学とオペア滞在記  S. U(留学時3年生)


 

 
   

【留学先学校名】
・Højskolen på Kalø (Kalø Sproghøjskole) (2011年8月~2012年12月)


「世界で一番幸せな国」といわれるデンマーク。そこで私が出会ったのは、ただ幸せを希求するだけの人々ではなく、そうなるために努力を重ねる心の豊かな人々でした。


 私は昨年の夏から約1年間デンマークにいたのですが、初めの4ヶ月間はユトランド半島の中東部に位置するRøndeという町の、Sprogskolen på Kalø (Kalø Sproghøjskole)という語学のフォルケに滞在しました。そのフォルケにはデンマーク人の生徒がおらず、シリア、グリーンランド、日本、エチオピア、ラオス、アフガニスタン、イギリスといった国々から様々な年代の人がデンマーク語を学びにきていました。併設されている農業のフォルケはデンマーク人がほとんどで、その他ポーランドやエストニアなどからの生徒もいました。2つのフォルケは食事の時間を共にすることで、私たち語学のフォルケの生徒たちにはデンマーク語を使ってコミュニケーションをとる機会も設けられていました。Kaløの語学のフォルケの授業は、机の上で文法を学ぶ授業と、アクティビティを通じたコミュニケーションの授業とに分けられます。前者はデンマーク語をすでに学んだことのある人にとって、あまり充実した内容とはいえないかもしれませんが、後者は森の散策や屋外でのものづくりなど、すがすがしい秋晴れの空の下での活動がとても印象的でした。デンマーク人の先生たちは4ヶ月間、授業外でも様々なアクティビティを考え続けてくれました。


 実際にデンマークにいて感じる文化もさることながら、私がこのフォルケで最も身にしみて感じたことは、“今まで私は日本という平和で恵まれた環境の中で生きてきたんだ”ということでした。様々な国から様々な理由でデンマークへやってきた人たちと知り合ったのですが、母国の紛争などを理由に家族と離れ離れになりながら、命からがら逃げてきた人たちいるということや、彼らの抱える耳を疑うようなバックグラウンドなどが、現実感を持って私に迫ってきました。彼らは「移民」として扱われ、経済や治安などと関係して問題視されるというイメージが先立っていましたが、彼らの現実の姿を目にして人間臭さや情を感じ、考えさせられることは沢山ありました。エチオピアで医師を目指していた30代の友人は、自身の移民という立場を享受して母国でのキャリアを捨て、デンマークという国でいかに社会貢献をしていけるか、ということを考えながら現在も生活をしています。


 年が明けてから私はワーキングホリデーのビザを取得し、「オペア」という形でデンマーク人の家に住み込み、家事と子供の世話をする仕事を始めました。場所は同じくユトランド半島、今度はかなり北の方のHjørringという町に6ヶ月間滞在しました。デンマーク人のお父さん、ロシア人のお母さんと、9歳、2歳、1歳の可愛い3人姉妹の家族です。平日は朝5時半に起きて、それぞれ学校、保育園、保育ママのところへ行く3人のお弁当を作り、子供たちを起こして準備、送り出して家の掃除をし、9時に家を出て自分の語学学校へ行って、15時頃帰宅すると子供たちが帰ってくるのでお世話をし、夕食などを終えて20時に寝かせる…という多忙な毎日でした。小さな子供をほうっておくわけにいかないので、結局休みの日も1日中子供達と一緒にいることになり、自分の勉強ができずデンマーク語が伸びない、この両親はどうして子供の世話を全くしないのかと、冬の寒さや暗さも相まって、心が真っ暗になった時期もありました。その時思い付いたのが、「鬱」という言葉。といっても私がなっていたというわけではなく、その両親の無気力さの理由が分かり、それに苛立っていた自分がとても恥ずかしくなりました。私はここにいて、この家族を少しでも良い状態にもっていくんだ、という一種の使命感と共に、残りの数ヶ月間を過ごしました。


 ここで私が身に付けたこともまたデンマーク語ではありませんでしたが、「本当の幸せ」というものについて深々と考えることができました。辛いことを我慢していても将来の幸せがお詫びのようにやってくるわけではありません。頑張るけれども無理はしないといったように、心に余裕を持ったり、幸せを受け容れたりするのが日本人に比べて上手だな、と私は思いました。一方で、鬱の人が多い印象も受けました。文化的な理由なのか、冬の日照時間の短さのせいなのか、その理由は分かりません。しかし、やはりというべきでしょうか、彼らは自分が幸せだと言うのです。趣味の時間や心の余裕など、私がただただ羨ましく思っていた沢山のものは、自分を受け容れ、他人を受け容れる心に源を発しているように見えました。


 留学を終え私が持ち帰ったトランクは、1年前よりぐんと重くなっていました。