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2005年12月20日
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バローチスターン州の州都で、人口は約76万。
「クエッタ」という地名は、「城砦」という意味のパシュトー語「kawataa」が語源と言われる。この語は、サンスクリット語koTからの派生語で、ペルシア語を経由してパシュトー語に入ったと考えられる。イラン高原の東端に位置する高原にある町で、パキスタンからイランやアフガニスタンに移動する拠点となる。このため市内にはイランやアフガニスタンの領事館があり、陸路で隣国へ移動する旅行者への査証発給などを行っているが、アフガニスタン南部やイラン国境地域は治安状況が悪く、略奪や暴行が頻発している。
バローチ人やブラーフィー人の都市として栄えたが、1979年に始まったアフガニスタンでの対ソ連戦争時代に多くのパシュトゥーン人がアフガニスタン南部を中心に難民として流入し、それまで30万人弱(1981年)だった人口が急激に膨らんだ。市街地は整然とした静かな軍管区と活気ある旧市街に分かれる。
市街中心部には「サッジー」と呼ばれる羊のもも肉をいぶす料理店や、イランやアフガニスタンの手工芸品を扱う商店、生活用品を扱う店屋や野菜、果物の屋台が並ぶ。パシュトゥーン人やバローチ人の男性に特徴的なターバンを扱う店や、水煙管の商店など、クエッタ独特の商店もある。
近郊にはパキスタンの「偉大なる指導者カーイデ・アーザム」が晩年をすごした保養地として有名なズィアーラトがある。
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