留学体験談"Åbent hjerte finder altid vej"(開いた心は常に道を見出す)」
岡田朋夏(留学時3年生)
【留学先学校名】
・Rødding Højskole(2023年1月~6月)
こんにちは。デンマーク語専攻4回生の岡田です。私はRødding HøjskoleのForår2023コース(略してF23)に参加しました。Røddingは、南ユトランドにあり、非常に長い歴史を持つフォルケホイスコーレです。学校生活について詳しく知りたいという方は、F22に参加された永瀬さくら先輩がわかりやすく体験談を書いてくださっていますので、そちらをぜひご覧ください(授業や生活の様子、Rødding名物のひたすら歩かされるハイキング等も紹介してくださっています)。
【Befrielses- og bededagsaftenの日の学校】
基本的にデンマーク語のみで授業が行われるため、インターナショナル生の参加は稀で、F23では私が唯一の外国人でした。そもそも私がこの学校に行こうと思ったのは、留学の大きな目的の一つである「コンフォートゾーンを出る」体験を徹底的にやりたいと思ったからです。せっかくだからデンマーク語専攻にしかできないことをやろう、そういう意識でこの学校を選びました。
しかしF23での生活は、その日その日をどうにか生きるので精いっぱいというような酷いありさまでした。約100人のデンマーク人に囲まれ、朝起きてから夜寝るまでずっとネイティブスピーカーによるデンマーク語の会話が続きます。授業中は先生方がサポートしてくださいましたが、講演やレクリエーション、食事、自由時間はそうはいきません。何を話しているのかわからない、言っている言葉そのものの意味はわかっても話している内容が何のことなのかわからない。拾えた単語とみんなの動きを必死に観察してついていくしかない。そんな日々が続きました。私は1月当初からコースに参加しましたが、学校には2月半ばからのコースもあり、その追加メンバーたちがあっという間に自分よりもみんなと仲良くなる様子を見て、「もう限界かもしれない、日本に帰りたい」と思ったのをよく覚えています。
そんな自分にとって、転機となった出来事がいくつかありました。まず一つ目は、私のルームメイトの一人であるMathildeとの会話です。当時少し体調を崩して授業を休んでいたのですが、ずっと部屋にいると復帰するのが怖くなってしまい、そのストレスもあって体調は悪いまま、といった状況でした。そのとき彼女は私に「病院に行きたいなら予約や受診を手伝うから遠慮しないで」と伝えてくれました。そこで思わず正直な気持ちを吐露したところ「Tomokaは何を思っているのかとても分かりにくい。もちろん言語的なハンデがあるのは理解しているけれど、文化の違いもあるなかで、どう接するのか正解なのか私たちにはわからない。あなたのことをいつでも助けたいと思うけれど、どう助けられるのかわからない。それで戸惑っている。みんなもきっと同じだと思う」と言われました。彼女がそうやって慰めや励ましではなく、率直にどう思っているのか教えてくれたおかげで、私は私が感じていた疎外感の原因が私自身にもあることにようやく気が付けたのです。そこからは少しずつ自分の思いや希望などを口にすることが増え「今何してる?」「どこに行くの?」「私もついていってもいい?」と言えることが増えていきました。寮のミーティングで「もっとみんなの輪に入っていきたいけれど上手くできない。助けてもらえたらうれしい」と伝えてからは、所属寮のみんながそれ以外の生徒との交流に積極的に手を貸してくれたこともあり、かなり状況がよくなりました。
もう一つの大きな転機は、国外への一週間ほどの旅行です。4月にはF23全体でスコットランドへ、5月には主専攻ごとの旅行でスペインに行きました。スコットランド旅行ではこれまであまり関わりのなかった子たちとバスやフェリー、ホテルで一緒になって交流することができました。さらに、スペインへの旅行は主専攻であるDesignのメンバー15人ほどでの旅だったので、先生や仲間とより親密になることができました。コースも半ばを過ぎてからようやく「仲良くなった」「積極的になった」と書くのはなんだか恥ずかしいですが、このあたりからは先生の指示やグループでの話し合いなども一発でだいたい理解できるようになってきていました。言語習得はまず3か月、次に6か月などと言いますが、実際そのくらいの期間でレベルアップしていたように思います。
【スペイン・バスク地方の大自然】
最後の2か月ほどは、友人たちから「いつの間にかデンマーク語が本当に上手くなった、最初はあんな酷かったのに」としみじみ言われることが増え、来校するゲストや旅行中に出会った地元の方などにも「デンマークに来てまだ〇か月だ」と言うと驚かれるようになりました。留学前に思い描いていたほどデンマーク語の勉強ができたかと言われると、全くそんな余裕はなかったですが、とにかく必死で毎日暮らしていた成果を少しずつ感じられるようになりました。日本に帰ってしまえばみんなとすぐには会えなくなると思うと寂しくて「あと〇〇日でコースが終わる」と誰かが言うたびに「泣いちゃうからやめて!その話!」と騒いでは笑われていました。北欧の短く美しい夏の、大切な思い出です。
【学校祭Fuldt Flor Fes】
さて、留学生活についてここまで赤裸々に語ってきましたが、フォルケへの留学に興味があってこのページを訪れているだろう方々に「留学って大変そうだな、怖いな」と思わせていないかどうか、非常に心配です。とても心配ですが、あえて自分の辛かったことにフォーカスして体験談を書こうと思ったのには、ちゃんと理由があります(笑)フォルケ留学についてどうしてもお伝えしたいことがあり、そしてそれを語るためには自分の経験を隠さずお見せするべきだと思ったからです。
私がフォルケへの留学を考える皆さんに最もお伝えしたいこと、それはフォルケのコースに参加する生徒たちの多くが「新たな環境で何か見つけたい」「一種の非日常を満喫したい」「友だちを作りたい」というような気持ちをもって学校にやってきているということです。言語的・文化的なハンデを抱えてデンマークの暮らしに飛び込むことに不安やストレスを感じると思いますが、他の参加者たちにも多かれ少なかれそういった共同生活への不安はあること、彼らが前向きに他の生徒と関わろうとする気持ちでいることを忘れないでください。そういった意味で、フォルケへの留学は特別なものだと思います。
F23最後のパーティーで、Filippaという生徒がスピーチをしました。彼女は出会った当初からいつも目が合うたびニコッとウインクをしてくれて、いつもクラスを盛り上げてくれるような人です。そんな彼女が涙ながらに語ったのは「これまでの20年間の人生のなかで、自分はいつも孤独を感じ、友だちと呼んでくれる人たちと共にいても私は私でないように感じていた。自分はなんてつまらない無意味な人間なんだろうと思っていた。そんな不安を抱えたままF23の一員となって、そうして私はここで、初めて心の底から友だちと呼べる人々を得て、ありのままの自分を愛してくれる人がいることを知った」というものでした(本当はこの何倍も素晴らしいスピーチでした!)。彼女は先述したようにムードメーカーという言葉が似合う明るく優しい人気者でしたから、そんなことを考えていたのかと誰もが内心驚いていたように思います。多くの生徒が、彼女の話に自分自身を重ね合わせ、感銘を受けていました。すすり泣きの大合唱です。例に挙げるためだけに引用して申し訳ないのですが、こんなふうにデンマーク人の参加者だって不安で、そしてフォルケで何かを得たいと思って参加してくるのです。もしフォルケへ留学することを不安に思ったり、留学生活が苦しくなったりしたら、そのことを思い出してもらえると嬉しいです。
末筆ながら、留学に関してアドバイスをくださった永瀬先輩はじめとする先輩方、いつも温かくご指導くださるデンマーク語専攻の先生方、留学期間に刺激や心の支えをもらった同期のみなさんに心から感謝を申し上げます。