「分からない」を超えて H.I (留学時3年生)
Grundtvigs Højskole (2012年8月~2013年1月)
デンマーク語専攻3年次の夏より半年間、Grundtvigs Højskole(グルントヴィ・ホイスコーレ)という学校へ留学に行きました。ホイスコーレという、様々な科目を学べる北欧独特の学校形態でしたが、私の通った学校は哲学や社会学、フィルム・スタディーズ(映画)等人文系の科目を主要科目としている学校でした。
私の留学を一言で表すなら「分からない」という言葉になると思います。言語が分からない、文化が分からない、デンマーク人とどう接したら良いか分からない。2年間学んできたデンマーク語も、デンマーク文化も、知っているはずなのに実際に出会うそれらはただただ不可解でした。
私たちは普段日本人の中に生きて日本の文化を当たり前に享受しながらそれに気付かず生きています。言わなくても分かり合えることは多いですし、常に互いに気を配り合っているのが我が国の大きな特徴であり美点でもあるでしょう。デンマーク、ひいては外国ではそうはいきません。
例えば、私が留学していた学校では(他の学校も同じだと思いますが)頻繁にイベントが開かれました。外部から著名人を読んできての講演や、演劇・オペラの鑑賞会など内容は様々です。何も「分からない」私はただただ次に何をすれば良いのか、周りについて行くのに必死でした。ふと部屋で休んでいて外へ出てみると誰もいなく、イベントへ出かけて行った後なんてことはよくある話でした。もちろん自ら選んでそうしたイベントに行かない人も居ます。この国(この学校?)では全てが自己責任でおのおのが自分に必要なものを取捨選択してよいのです。
初めは「自分で」選択し、生活しなければならない状況に途方に暮れていた私ですが、最後には見かねて助けてくれる友人ができたこともあり、楽しく日々を過ごす事ができました。デンマーク人たちの自立した姿に近づくことはできなかったかもしれないけれど、自分で考え、自分にとって本当に必要なものを選択することって心地いいことなんだ…とおぼろげながら分かった留学でした。
日本から離れ、外国から自分たちを眺めてみるというある種特殊な経験をできるのが留学です。物理的に自分のなじみの人や風景から離れることは想像以上の重圧かもしれません。しかし、自分の学んできた国にとにかく身を置き、その国の人たちと同じ空気を吸うだけで日本や自分自身のことがクリアに見えてくるはずです。自分がデンマーク語専攻を選んだことはかなり勘に頼った選択であったと思いますが、今では高校生の時の自分の直感は間違っていなかったと感じています。