自分に素直に


富士原 悠了(留学時3年生)

【留学先学校名】
・Uldum højskole (2025年1月~6月)

「一分一秒でも早くデンマークに行きたい」。それが私が3年生の後期から休学をし、1月からの留学に向けて準備をしていた時の感情だった。

 12月、デンマークに早めに到着し、学校が始まるまでの間は2年前に短期で行ったBosei Højskoleでできた友達の家にお邪魔させてもらっていた。その時の私の気持ちは「不安」で溢れ返っていた。前回のBoseiは多くの日本人が一緒に行き、さらに元々その学校に先に先輩が行っていたということがあり、その学校の人たちの輪に入るのは難しくなかった。そしてたった1ヶ月だったそこでの生活の中でも、今でも連絡を取り合い、お互いを訪れるような素敵な友達ができた。その1ヶ月があったが故に私は、「今回は日本人単身で、全て0からのスタートで、Boseiでできたような友達ができるのか」という思いに押し潰されそうになっていた。

 学校が始まってから1.2ヶ月は、楽しいもののかなり苦しい時間が続いた。初めは全員でレクリエーションやバドミントン大会をする時間や、僕は趣味のマジックを披露する機会があった。故にみんなに名前を覚えてもらうのは早かったと思う。しかし、誰もそんなこと思っていないのかもしれないけれど、何だか「留学生」や「日本人」というフィルター越しに僕という人が見られている気がしていた。




 言語的にも、デンマーク語と英語では当然英語の方が会話に不自由も少なくスムーズなやり取りができるものの、「大学でデンマーク語を専攻していて、練習したい」という自己紹介をした。そうすると当たり前ではあるけども、ほぼ全員が僕に話しかける時にはデンマーク語でしてくれた。速いし、知らない語彙は多いし、ユーモアは理解できない。フォルケはその特色上、授業もコミュニケーションを取るものや話し合いでいろんな人の考えを聞くことが多い。それが個人的にはしんどかった。みんな優しく接してくれるし、話してはくれるものの、日本でいたような自分ではなく、積極的に多くの人とコミュニケーションを取るのも難しかった。そんな毎日が続いたのは2ヶ月弱。たった6ヶ月しかない留学生活の中で2ヶ月弱もしんどい時間が続いたのは、長いと思われるかもしれない。

 私はそうは思わない。そこからの4ヶ月は何にも替えられないほど大切な時間だった。初めの2ヶ月もそうだったものの、「日々が楽しい」というのが加わった最後の4ヶ月は+αで。少しずつデンマーク語も日常会話レベルで話せるようになり、自分を出せるようになり、仲の良い友達もできていった。変に気を張らず、素直に自分でいることにしたのが大きい気がする。デンマーク語もミスばかりだし、分からないこともたくさんある。その時には友達に聞いたら良い。しんどいこともまだまだあったけど、無理せず部屋に戻って休んでも良い。そうやって自分に素直に生きたからこそ、毎日朝起きて食堂に朝ご飯を食べに行くのが楽しみになる毎日になったと思う。



 普段の生活だけでなく、友達が家に招待してくれたり、イースター休暇には友達の9人で別荘に行ったり、誕生日にはバースデーソングを作ってくれたりと、学校の最終日に今までに無いほど泣いたくらいには大切な時間を過ごさせてもらった。
全く新しい環境に1人行くというのは、大学に入ったときもそうだったけど、やはり海外というのは日本で環境が変わるのとは全てが違って、適応するのが難しかった。ただ全く違うからこそ自分に向き合うこともできたし、自分の強みも弱さもわかるようになった。24時間共同生活で、生徒で学校を作っていくフォルケだからこそ、他の留学制度では得られない経験があったと思う。

 学校が終わって、約2ヶ月。今でもSnapchatやmessengerでよく友達とは連絡を取っているし、日本に来てくれた友達も何人かいる。

 「一分一秒でも早くまたデンマークに戻りたい。」それが今の私の感情。