外国語学部について
沿革
外国語学部の起源は、大正10年(1921年)に大阪の実業家・林蝶子女史(1873-1945)が「大阪に国際人を育てる学校を」という理念のもとに、学校設置資金として私財100万円を国家に寄付したことに遡ります。政府は、この寄付金を基に大阪外國語学校を大阪市天王寺区上本町8丁目の地に創設しました。
その後、昭和19年(1944年)4月に大阪外事専門学校と改称され、昭和24年(1949年)の国立学校設置法施行により大阪外国語大学が発足しました。大阪外国語大学は国立大学で二つしかない外国語大学の一つとして発展し、昭和54年
(1979年)の箕面粟生間谷への移転を経て、令和3年(2021)に現在の箕面船場東へキャンパスが移りました。
その発足当初は12の語学科から出発しましたが、我が国における言語教育・研究の一大拠点として発展を遂げる中、専攻言語の数は25にまで拡大しました。
平成19年(2007年)10月の大阪大学との統合に伴い、大阪大学の新たな組織として再出発した外国語学部は、日本語を含む25言語の専攻を有する国立大学法人の総合大学の中では唯一の外国語学部となっています。
大阪大学外国語学部のあゆみ
- 1921大阪外國語学校創立
- 1922開校式を挙行
- 1937花園運動場新設
- 1944大阪外事専門学校と改称
- 1945戦災により書庫を除き校舎等の大部分を焼失
- 1946大阪府高槻市の元工兵第四連隊跡に移転、授業を行う
事務所を大阪市天王寺区上本町八丁目に変更 - 1949大阪外国語大学設置
- 1951大阪外事専門学校廃止
- 1958大阪外国語大学短期大学部(夜間)設置
- 1965大阪外国語大学短期大学部(夜間)学生募集停止
外国語学部第二部(夜間学部)設置 - 1969大学院外国語学研究科(修士課程)設置
- 1972創立50周年記念祝典を挙行
- 1979箕面市大字粟生間谷2734に移転
粟生間谷校舎にて授業開始 - 1981新学舎落成式典を挙行
- 1993外国語学部第一部、第二部の語学科を国際文化学科
(昼間主コース・夜間主コース)及び地域文化学科
(昼間主コース・夜間主コース)に改組 - 1997大学院言語社会研究科(博士課程)に改組
(大学院外国語学研究科(修士課程)廃止) - 2004国立大学法人大阪外国語大学発足
- 2006大阪大学と大阪外国語大学との「大学統合推進合意書」締結式
- 2007国立大学法人大阪大学と統合(10月1日)
大阪大学外国語学部発足 - 2008大阪大学外国語学部第一期生学生募集
大阪大学外国語学部第一期生入学式(4月1日) - 2017外国語学部国際文化学科(旧課程)の廃止
- 2018外国語学部地域文化学科(旧課程)の廃止
- 2021箕面市船場東3-5-10 に移転
外国学研究講義棟にて授業開始
- [ 参考文献 ]
- 大阪外国語大学70年史編集委員会(編)『大阪外国語大学70年史』1992年、大阪外国語大学70年史刊行会
- 阪外国語大学同窓会(編)『大阪外国語大学70年史・資料集』1989年、大阪外国語大学同窓会
- 大阪外国語大学(編)『大阪外国語大学の現状と課題』1994年、大阪外国語大学
- 高杉英一・阿部武司・菅真城(編)『大阪大学の歴史』2009年、大阪大学出版会
- 大阪外国語大学創立100周年記念事業委員会(編)『大阪外国語大学・大阪大学外国語学部100年史』2021年、大阪大学出版会
アーカイブ
大阪大学外国語学部のアーカイブ資料を掲載します。